小学校での根強い慣習で行われている一律の宿題。
私は、この宿題はいらないと考えています。
個々にあった内容の宿題を課すか、
自分の興味・関心に応じた自主学習にすべき。
そうすることで、
子供の学びと教師の働き方改革の両方に
効果があります!
一律の宿題の問題点が3つあります。
宿題の問題点①内容が実態に合わない子供がいる
学力が高い子でも、低い子でも、
意欲がある子でも、ない子でも、
取り組むことが同じ。
学力が高い子に合う宿題にすると、低い子が取り組めない。
学力が低い子に合う宿題にすると、高い子がやる意味ない。
一律の宿題を行うと、
必ず合わない子が出てきます。
宿題の問題点②自主性が育たない
教師から「宿題を出しなさい」と言われる。
親から「宿題をやりなさい」と言われる。
毎日のように学校でも家でも言われ続けると、
子供は宿題のことをどう思うようになるでしょうか?
簡単です。
宿題きらい!
やらされてやるような方法では、自主性は育ちません。
宿題の問題点③教師、親の負担
宿題を課す負担、
宿題を回収して提出状況をチェックする負担、
宿題を出さない子供へ指導する負担・・・
教師も、短い休み時間にこれらの業務を終えなければなりません。
宿題をやらせる負担、
親も、忙しい夜に子供の宿題遂行を見守らなければなりません。
宿題提出の話をしているときは、教師も子供も笑顔になんてなりません。
宿題を強制的にやらせるのは、子供ももちろんですが、
教師も親も疲れるのです。
なのに、なぜ宿題はなくならないのでしょうか?
宿題賛成派の教師、親が考えていること
教師も親も、多くはこう思っています。
「今はイヤイヤであっても基礎基本を身に付けさせることが大切だ。
きっといつかその努力が実を結ぶ。」
たしかにその面も否定できません。
しかし、子供がむりやり宿題をやらされて成長していった先に、
どのような姿を想像できるでしょうか?
「自分から学ばない人間」
「やれと言われたらやる人間」
こんな姿が思い浮かびますよね。
一切、強制のない家庭学習を
私は、家庭学習に一切の強制を排除すべきと考えています。
もちろん、毎日勉強してくれることを理想をしていますよ。
でも、それを強制した途端に、自ら学ぶ子供の育成が崩壊します。
なので、教師や親がすべきことは、
家庭学習を促すこと |
少しの努力を価値づけること |
<家庭学習を促すこと>
「この学習って、おもしろそうじゃない?」
「これって、なんでこうなるのかなあ?」
このような声かけで、家庭学習に誘い込むのです。
誘いに乗らなくても、イライラする必要はありません。
「今日は興味もたなかったなあ。残念。」
ってその日はあきらめればよいのです。
<少しの努力を価値づけること>
「今日は○分も取り組めたね!」
「今日はなんでこれに取り組んだの?
なるほど、テストがあるからこれを復習したんだね!
見通しをもって取り組めたね!」
「今はこれに興味があるんだね!
これを見たらパパももっと知りたくなったよ!」
きっとそのときは子供がうれしい顔をするでしょう。
そして次の日は取り組まないかもしれません。
それでも、
「昨日はちゃんとやってたのに!」
なんて叱りません。
人間の興味・関心、意欲には波があるのですから。
宿題をはじめ、学校教育に根強く続いている慣習というのは、
なかなか変えることが難しいです。
教師も、親も、それがよいと信じているからです。
もちろん、これまでの経験を否定しているのではありません。
しかし、これから育てたい子供の姿をきっちり話し合えば、
自然の宿題の在り方にも疑問が湧いてくるはずです。
そろそろみんなで学力観をアップデートしたいところです。
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